「私は忘れられた存在?」と休憩がもらえずに腹が立っていた私が気づいた大事なこと

新人時代、「いつ休憩に行ったらいいんだろう?」と悩んだ私

食品スーパーに勤めてもう長くなりますが、私が入社した当時の話です。その頃、会社は新規出店に大きく力を入れている時期で次から次に新しい店をオープンさせていました。

そのたびに私たち社員は応援に駆けつけました。新しい店のオープンはとてもお客様が多くて忙しく大変でしたが、みんなで力を合わせる楽しさや、各店の社員との交流も深めることが出来、今思えばいい思い出になっています。

しかし、新店オープンは、そこの店長によって、応援に駆け付けた社員の休憩時間を細かく決められることもあれば、何も決められていない場合もあり、新人時代の私は・・・

休憩時間を決められていない場合、いつ行っていいのか悩みました。

まだ入ったばかりの新人であり、先輩方から「休憩に行っていいよ」と言われるまで、なかなか自分から行きづらい雰囲気を感じていました。

しかも、新店オープンは皆が忙しく、周囲に対する気遣いというものが薄れることがあるようで、なかなか「休憩に行っていいよ」と言われないことが多かったです。

「もしかして、みんな休憩に行ってないのかな?」

新人ということもあり、他の応援に来ている社員の顔も名前も知らない状態で、忙しく動き回る時間が長く続き、いったい何時になったら休憩に行けるのだろう?と不安になったことがあります。

そして、13時になっても14時になっても、休憩時間がもらえないということで、私の頭の中では「どうしよう?自分から『行きます』って言っていいのかな?でもそんなことを言って『みんな我慢してるんだ』と言われたらどうしよう?」と悩みました。

それでも15時が過ぎ、さすがにこれは言ったほうがいいかな?と思い、先輩に・・・

「あのぅ、ごはん行きました?」

と聞きました。すると「えっ!まだ行ってないの?それじゃ行って来たらいいよ」と言われ、「あーー、そういうものなのか」と知りました。

オープンで忙しく、応援の人数も多くて一人一人に細かくかまっていられないようで、そこは理解できるのですが、不親切だと感じました。

そして、「どうして私がこんな目にあうのだろう?」と被害者意識が生まれ、あやうく大事なものを見失いそうになったことがあります。

今回はそんな私の経験談です。

人が集まるところが好きな私

お祭り・テーマパーク、とにかく人が集まるところが大好きな私。心がうきうきしちゃいます。

楽しい反面、ついついそこで働く人の気持ちを考えてしまいます。

遊びにきている私は楽しいけれど、ここで働いている人は大変そう。そう思い空を見上げてしまいます。

新店の応援に行ったとき、そこの店長から・・・

「熊さんはレジをお願いしますね」

オープンのレジ打ちはとても大変です。

人。人。人だらけで、人に酔いそう。ベリーハードです。

休憩に行くのをためらわれる忙しさでした。

っていうか休憩に何時間も言ってないんですけど

これって私は忘れられた存在なのかな?

いつになったら休憩に行けるのだろう?

なんとなく不安。

これって休憩はご勝手にってことなか?

ピッピッ

そんな状態が長い時間続きましたが・・・

夕方のピークが過ぎて、「あっ、お客様が少なくなってきた」

い・・・いまだ休憩いつ行くの?今でしょ。よし、行こう。従業員の数も今は多いし、レジを抜けても大丈夫だろう。

そう思った時、

んっ、なんか後ろのレジの人って・・・もしかして

そう思って後ろを振り返りました。

後ろでレジをしている人

私と同じで他店から応援に来ている人です。しかも、私よりも長い時間レジをしている。休憩にも行ってなさそうだ。

よしっ

交代で休憩に行きませんか?」

「えっ?大丈夫ですかね?」「大丈夫ですよ。今はお客様も7少なくなってきたし、従業員の数も多いから」

「だから先に行ってください」

「4いいんですか?」遠慮がちに言う彼をさ¥先に行ってもらった

休憩から戻ってきた彼は

「お先にありがとうございました」

明るい表情で帰ってきた。もう少し長い時間休憩してくれてもよかったのに(汗)

そして私は気持ちよく休憩にいった。

大事なことに気付いて一安心でした。

いかがでしたでしょうか?組織の中で働いていると、普段とは違うところに応援に行き、「どのタイミングで休憩に行ったらいいのか?」と悩むことがあります。

そして、誰からも声がかけられず長い時間休憩なしで動き回ると・・・

「私って忘れられた存在なのかな?」
と被害者意識が生まれます。そんな意識の中では「どうして自分だけがこんな目に?」という気持ちにとらわれて周囲の大変さに気づかないことがあります。

周囲の気遣いのなさに嘆くばかりで、自分の中にある気遣いがなくなっていることには気づきにくいと思います。

あの時、彼の存在に気づき思うこと

あの時、私はやっと休憩に行けたという喜びよりも、違う喜びが生まれました。それは、自分よりも大変な思いをしている人に先に休憩に行ってもらった喜びです。

あの時、私の後ろでレジをしていた彼は、おそらく休憩に行きたくても遠慮をして行かなかったのでしょう。

だからこそ私が声をかけたとき、なんとも救われたような表情を見せてくれました。そして・・・

その表情が見れたことに対する満足感が生まれました。

あの時「休憩がもらえない私は忘れられた存在かな?」と腹が立っていましたが、そんな私が気づいたことは・・・

「自分の大変さに誰も気づかない」と嘆く前に、自分よりも大変な人はいないかな?と、周囲を見て自分からそれに気づいてあげることの大切さでした。

コメントの入力は終了しました。